沖縄の高校野球と甲子園は盛り上がりすぎ!

どうも、ヒロです。

昔の若者のスポーツと言えば野球が盛んでしたのね。
でも今の若者はサッカー好きの若者も多いです。

僕の地元、沖縄でもサッカーに青春をかける少年はたくさんいます。

ただそれでも他県と比べたら野球好きの人が多く存在するんですよね。

野球に関しては高校野球の甲子園大会は県民総出で盛り上ります。

沖縄県民が高校野球の甲子園大会が好きな理由

僕が生まれた時は沖縄ってまだアメリカの統治下でした。
だから高校野球の甲子園大会でもその影響は大きく受けていたんです。

全国高等学校野球選手権大会に沖縄県勢として、はじめて出場したのは第40回大会の1958年からです。

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それまでは同じ日本人でありながら出場することが出来なかったんですね。

しかも悲しいことに記念に持ち帰った甲子園の土は那覇港に着くと海に捨てられてしまいました。

当時アメリカの法律に接触して甲子園の土は「外国の土」ということで、植物検疫法に引っかかってしましました。

その為、持ち込み不可ということで球児たちの思い出の土は船の上から海に捨て得られるという悲しい事件が起きてしまったのです。

この問題は非常に多くの反響を呼び、そのことを知った日本航空の客室乗務員の女性が、いてもたっていれずに甲子園の小石を40個近く集めて沖縄に届けたという逸話があります。濃小石なら検疫法にはひっかからないからなんですね。

そういった背景もあり、沖縄県民は老若男女問わずに甲子園大会を応援するようになったと思います。

もうひとつ県民がいつも応援していたのは、沖縄のチームが出場するようになってもなかなか勝てなかったんですよね。

高校野球のレベルが沖縄と本土では差があったのんでしょう。

出場してもすぐ1回戦で負けてしまうというのが続きました、でも負ければ負けるほど応援もしたくなるというものです。

1回戦もど勝てばどんちゃん騒ぎが起きるほどで、普段プロ野球を見ない人、野球のルールを全く分からないおばあも甲子園大会だけは応援していました。

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沖縄県代表が勝つほどに盛り上っていく甲子園大会

最初の頃は、1回線を勝つのも難しい、次は1回かっても2回戦は負ける、そんな感じだったんですが突如爆発します。

沖縄勢初出場からちょうど10年後の第50回大会で興南高校がいきなりベスト4進出を果たしました。

沖縄の高校球児も全国に通用すると分かった瞬間ですね。
その時の主将がのちに甲子園春夏連覇した興南高校の我喜屋監督だったというのは凄いですね。

第40回大会はベスト4進出であり優勝でも準優勝でもないのに沖縄の那覇市内ではパレードが行われました。

それだけ応援する人が多かったという事でしょう。

第58回大会からは豊見城高校が3年続ベスト8になったんですがこの頃、僕は豊見城高校の試合をテレビにかじりついて見る野球少年でした。

その時のピッチャーが赤嶺 賢勇で憧れの投手でした、巨人にドラフト2位で入団したんですが肩の故障で公式戦での登板はわずか4回で自由契約になってしまったんですよね(残念)

当時沖縄で1軍の公式戦はやらなかったんですがイースタンの試合が沖縄で開催されることになり母親と一緒に奥武山球場(現セルラースタジアム)に見に行った思い出があります。

その時は地元出身のピッチャーということもあり赤嶺投手も先発しました、勝ち負けはつかなかったと思うんですが、その時若手の中畑清選手もたしか出場していた思い出があります。

豊見城高校ブームの次は沖縄水産ですよね。

豊見城高校の監督だった裁監督が沖縄水産に移って甲子園に出場するようになったのでまさに名監督でした。

豊見城高校と沖縄水産を甲子園に連れていった裁監督

↓↓↓

映画化のされました。
主演は沖縄出身、ガレッジセールのゴリ。

沖縄水産は第72回大会で沖縄県勢としてはじめて決勝進出を果たしました。

結果は0-1で天理に敗れ惜しくも準優勝、翌年も沖縄水産は準優勝し真紅の優勝旗があと一歩のところで手にすることが出来なかったんですよね。

高校野球の甲子園大会ってそんなドラマテックだから県民はテレビから目を離せない状況だったんですよね。

そんな応援のかいがあって沖縄県勢は春の選抜甲子園で沖縄尚学が沖縄県勢初の優勝を果たします。

届きそうで、届かなかった優勝ですからそうとう舞い上がりましたよね。

でも、僕個人的にはできれば優勝は裁監督の高校になってもらいたかった。

それまで沖縄の高校野球を発展させてくれた功労者でしたからね。

沖縄尚学はセンバツで初優勝してからは、その時のエースだった比嘉投手が、母校に監督として戻ってきてから再び、2度目の選抜優勝です!

その時に優勝投手が現ソフトバンクで活躍している東浜巨投手なんですね。

沖縄県勢の勢いは、それでも止まりません。

2010年には、興南高校が春の選抜甲子園で初優勝し、そのまま夏の甲子園でも優勝と春夏連覇を成し遂げました。

ここまでなってくれるなんて僕が小学校の頃は信じられません。

僕が小学校の頃は沖縄県勢はベスト8くらいまではよくいくけど優勝は果てしなく遠い道のりって感じでしたからね。

リードしている場面でも後半、連打が出てしまうと動揺して四球やエラーで自滅するケースが多かったんです。

だから沖縄の球児はメンタルが弱い印象だったし、試合も先行だと嫌な予感がしたものです。

それが僕が大人になってからの沖縄の球児はメンタルが強く成りましたね。

9回裏、一打逆転の場面でも悲壮感無くズバッと投げれますからね。

だからこれからも沖縄県勢は甲子園の強豪県になれると思います。

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